9/24 フードバンクの周辺⑩ 部屋に住むことを拒否する女性

(写真はイメージです)
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ファーストコンタクト

 2012年6月、島根さん(仮名)がフードバンクを訪ねてきた。彼女は開口一番、「食べ物をいただけますか、死にそうなんです」と言った。食品を準備しながら話を聞くと、この3月から宇都宮にで路上生活をしているとのことだった。そして「タンパク質が足りないんです。お肉ありますか」と言いだした。「残念ながらお肉はありません」と返答すると、今度は水が欲しいと言いだした。

 「ペットボトルに水を汲んであげますよ」というと、「水道水を飲むと体の調子が悪くなるんです。ミネラルウォーターありませんか」と言ってきた。

 ミネラルウォーターは在庫がなかったので、かわりにペットボトルの2リッターのお茶を渡した。とても神経質なのか私が渡した食品を徹底的に吟味し、気に入らない食品は持っていかなかった。こだわる人だなあと、このときはそれぐらいにしか思わなかった。

それからの連日の訪問

 フードバンクに食品があることを理解した彼女は、毎日のように訪れるようになった。そして、こちらの準備した食品をその都度吟味して、気に入らないと絶対に持っていかないのだ。それから彼女の噂話を聞くようになり、話をまとめると複数個所で食べ物を物乞いをしてまわっているというのだ。このままでは彼女の問題を解決することができないので困窮者支援をしている女性に相談した。「部屋に住めるように説得しよう」という事になった。

部屋に住む直前に、いなくなる

 駅周辺に住んでいる彼女に、夜回りの時に声をかけ部屋に住まないかと話を持ちかけた。思ったより素直に「冬になったら死んでしまうかもしれないので、わかりましたお任せします」と彼女。そして翌週、彼女がフードバンク事務所に現れたので、とりあえず何日か緊急時に使用する部屋に案内することになった。

 迎えを待つ間、突然「ちょっと買い物に行ってきます」と言って彼女は外に出て行った。そして、その日は何時になっても帰って来なかった。

それからの島根さん

 その後も何度も彼女と接触し、部屋の中に住むことを説得したのだが、彼女は路上で不安定な食べ物を物乞いする生活を選択したのだった。

 その年の冬を乗り越えられないのではと心配したが、極寒の冬を生きて過ごすことができたようだ。最近はVネットの女性ボラが自然発生的に彼女を支援する体制をつくりつつある。道のりは長いかもしれないが、おばちゃんボラの力に期待しています。

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