10/4 フードバンクの周辺⑪  仮設住宅の父と子

写真はイメージです
写真はイメージです

親の前で態度が違う子

とちぎVネットは災害救援でもフードバンク食品を活用している。

 福島県南部のA市の仮設住宅。気になる親子と出会った。父親と中学生を筆頭に子供4人の父子家庭だった。母親は子供が小さい時に家を出て行ったそうだ。

 最初気になったのは子供の言葉だった。知らない私たちに「くそババア~」とか「死ね! 」、「お前何しに来たのか」などなど。かなり荒れていた。だが父親の前ではとてもおとなしく全く喋らず静かだった。

 そんな彼らだったが、毒舌を吐きながら積極的に料理作りを手伝ってくれる。慣れてくると、家にある物を快く貸してくれるようになった。ボランティアの若者と一緒にゲームをやったり、どこかに遊びにいったり、宿題をやったりとだんだん落ち着いてきた。長女は母が居なくなってずっと下の子の面倒を見て、まるで母親みたいにふるまっていた。誰から見ても良い子過ぎて、逆にそれが私たちから見て心配だったし無理があった。

 

役所に「手続き」に来ない理由

 あるとき、A市役所に「児童扶養手当」手続きの関係で、父親と一緒に役所に出かけたときのこと。父親が娘も同行させたいとのことだった。

 父親は手が震えてなかなか字が書けず、これまでも娘が同行していたらしい。「だけど、窓口で喧嘩になるので本当は行きたくない」とこっそり話した。

 こんなケースはいっぱいある。要するに「字がうまく書けなかったり」「申請書の意味が解りにくかったり」ということだ。

 役所は支援する側、そして彼らは支援を受ける側。同じ人間として思いやれるし、想像すれば「大変だよな~」と感じることはできる。もちろんできないこともあるが一緒に考えることはできる。

 妻が逃げるにはそれなりの問題があったのかもしれないし、子供の行動からも、家庭が落ち着いているはずがないだろう。子供の身体もとても未熟で、年齢相応ではない。

 父親も問題あるだろう。しかし「なかなか申請に来ない!」と言ってしまっていいのか。たしかに福祉は申請主義だから、本人が来ないと何も始まらないのだが、そこには「来ない理由」もあるのだ。

 

「対応する側」にも弱さ・醜さがある

 震災前から問題を抱えて暮す家庭は、震災で被害にあい、また一つ、二つと問題を抱え肥大化していく。あれから2年半が過ぎ、関わりを続けながら、つい最近、彼ら家族が宇都宮に引越して来た。父親の問題行動や言い訳に根気よく関わり続けたボランティアMさんのお陰だと思う。それは“よりそう”と言うより、伴走だった。同じ目線と、将来のある子供を見捨てられないMさんのやさしさかな。10月からこの家族は新天地での生活がスタートした。

 いろんな個別のSOSケースに対応して思うのは、「対応する側」も弱さや醜さを持ち合わせているということ。自身を客観視できないと対等でなくなると思っている。(kiku)

 
Facebook
とちぎボランティアネットワーク
フードバンクの周辺