フードバンクの周辺2014① 一杯のラーメン

このラーメンを食べさせました。
このラーメンを食べさせました。

 大分出身の月満さん(男性23歳)は、小さいころに父親を亡くし母子家庭で苦しい経済事情の中で未成年の期間を過ごしていました。二人の姉は、中学卒業して経済事情から進学しないで働くことになり、末っ子の月満さんはバイトをしながら夜間の高校に通い高卒の資格を取ることができました。

 高校を卒業してまもなく、月満さんにとって衝撃的な事が起こります。ある朝母親が黙って失踪してしまったのです。なぜ母親が失踪したのかは、理由はいまだにわかりません。警察にも失踪届けを出したようですが、失踪して2年が経過した今も母親の所在はつかめていません。

 

 現在、若者の4割近くが派遣社員で働いていますが、彼もその中に入っています。仕事のある場所を転々と移動して生活する以外に選択肢は無かったと言っています。違う道も選択することができたかもしれませんが、孤立している彼に大人は誰も彼にアドバイスをされる事も無く、彼の限られた人生経験の中で選択するしかなかったのでしょう。

 そして、月日が流れ栃木県にある某工場に勤務することになった月満さん、女性上司と人間関係がうまくいかず無視される事が多かったようです。声をかけても無視されるので、肩を叩いて呼び止めたところその行為がセクハラだという事で解雇されてしまった。

 

 住む場所と職場を同時に無くした月満さんでしたが、幸運にも宇都宮市に中学の同級生が住んでいたので、その人が住んでいるアパートに身を寄せる事ができました。しかし、その中学の同級生も派遣で働いていて、福島県で除染の仕事をしていてアパートにほとんど住んでいない状態でした。手持ちのお金が無くなると廃棄された弁当を漁って食事をしていたようです。それでも食事にありつけない状態で、3日が過ぎてスマートフォンでフードバンクの存在をしりつながる事ができました。

 

 彼と接触して顔を見たとき、23歳にしては顔に張りは無く困窮の極みに達している事が容易にわかりました。すぐ食べられるものをと思いクラッカーとカップラーメンを食べさせました。その時の彼のホッとした顔でラーメンを食べる姿が今も忘れる事ができません。

 

 彼のように時代に流され結果的に無縁状態になり、リスクの高い生活をしている人達が多く存在していることを社会全体で考えなければなりません。

 

                        徳山 篤

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