フードバンクの周辺2014⑧-ひきこもりから飛び出したものの…

家族との折り合いが悪く…

 良夫さん(仮名47歳)とは2012年7月のホームレス夜回りで田川の橋の下で初めて出会った。前年の夜回りで知り合った元ホームレス高木さん(仮名)が、夜回りの最中に合流してきて「新しい人が、幸橋の下にいるから会いに行くかい」と言われたので、幸橋の下に行くことにした。

 橋の下にたどり着くと、二人の男性が橋の下で生活をしていた。一人は屈強そうな若者で、話をすると普通の若者であった。このような若者でも仕事にあぶれてしまう世の中。厳しい事態であると感じた。だがこの若者はすぐに仕事を見つけ北海道に行ってしまった。

 もう一人が良夫さんだった。横浜市出身で3か月前から宇都宮市で路上生活を送っていた。声に元気はなく、これ以上路上生活を続けることは難しいと感じた。母親が横浜で入院生活を送っているとのことで実家もあるので、横浜に戻り生活保護を一時的に受けて生活を再建することを考えてみてはと提案した。

 良夫さんは、自営業をしている父から厳しく育てられ反発しながら成長した。就業しても父親の望む職種とはかけ離れていて、派遣のような仕事ばかり就いた。30代の終わりから引きこもりはじめ、8年引きこもり生活。

 2011年3月、そんな生活をしている良夫さんに東日本大震災の映像が目に入ってきた。あまりにも衝撃的な映像に、衝動的に自宅から飛び出し、父の残してくれたお金で被災地に通うことにした。文房具等を購入して小学校などに届けたり、ひきこもりから一転ボランティアになった。

 

定着、フードバンクのボランティアしつつ療養中

 東北から自宅までは遠いので、宇都宮で物資を準備をして東北に通っていたが、次第にお金が底をつき、どこにも行くことができなくなり路上生活になったのだった。

 その後、毎週水曜日の夜に彼のところに訪れ、一か月たったころ事務所に訪ねてきた。

 彼の口から「もう限界です」と路上生活が限界に来ていることをはっきり聞くことになった。良夫さんの姿を明るい場所で見ると、もともと痩せている体型なのだが、肌につやはなく生命に危険がある程やせた状態になっていた。

「宇都宮にどうしても住みたい」と譲らないので、ここに住む前提で生活保護につなげることにし、ボランティアに同行支援してもらって生活保護を受給手続をした。

 本来なら、40代という年齢を考えれば生活保護の生活で体を休め、落ち着いたら就職が考えられるが、もともと精神疾患を持っていたためそれが再発していた。現在はフードバンクのボランティアを無理のない程度に行いながら、病気治療と精神的自立を目標に生活を送っている。(TOK)

 
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