フードバンクの周辺2014⑨ー正社員って何?―派遣の経験・私の場合

引用元:「戦う」を「働く」に変えても、その信念の強さまでは変わらない http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1371234156/
引用元:「戦う」を「働く」に変えても、その信念の強さまでは変わらない http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1371234156/

●貯金ほぼなし、計画性なく、都会へ。「とりあえず、派遣」

「おめー何やってんだよ、早く資料作れ」「市役所から相談の電話が入ってるよ」・・・Vネットの事務所では新人の私(坂本)にもいやおうなしに仕事が舞い込んでくる。確かにたいへんなこともある。しかし、職場で弱音は吐かないようにしている。その理由は、以前のワーキングプアの体験があるからだ。今回は私が以前体験した派遣労働の実態や、いかにして派遣を辞めたのかということをお伝えしたい。今から記すのは、5年前の自分だ。

■ ■ ■

「ランドとシーどっちに行く?」「スペースマウンテン乗りまくりたい」

 この日は日曜日。朝7時30分、JR京葉線の車内はカップルや家族連れであふれている。そんな中、車内の幸福感とはかけ離れた私は、舞浜駅で群衆とは逆方向に歩いていく。

 茨城の田舎の出身。前職のコンビニを辞め、ただ都会に出たいという希望だけで何の計画性もなく千葉に出てきた。貯金はほぼなし。とりあえず食べていかなきゃいけないので登録型派遣にエントリーした。

 

●その日の名前は「6番さん」

 派遣の現場には自費で移動だ(交通費は支給されない)。アパートのある本八幡から、舞浜・習志野、あげくのはてには神奈川の大船あたりまで行く。給料は日払い。何時間働いても一律5千円しか受け取れない。貯金なんて夢の話だ。週によって働ける日数も違うので毎月の収入もバラバラだ。多い時には週7日、少ない時には週ゼロの時もある。

 この日は、舞浜の洋裁工場での勤務だ。朝8時からで終業は一応、午後5時だ。しかし、ほぼサービス残業がある職場で、平均4時間。その中で派遣労働者は検査班と出荷班に分かれる。選択肢はない。

 胸に番号が書かれた名札をし、その番号が名前となる。ちなみにこの日は1日「6番」さんだった。

 

●叱責、いじめ、連帯責任でサービス残業

 検査班での作業は洋服に傷やほつれがないか目視で確認し修繕したり、ミシンを使って縫い合わせたりする。アジア各国の製品がほとんどで修繕が必要なものも多く、ジーンズを4人で1日1500枚縫い直したこともあった。出荷班は検査後の製品を送り先別に仕分けし、箱詰めして梱包する。量販店向けのものばかりで膨大な量だ。Sチェーンの店は、梱包を1枚でも間違えるとクレームの電話がかかってくる。その対応をした正社員はミスをした人を特定し、パワハラまがいの叱責をした後、連帯責任で派遣労働者全員に午前0時までのサービス残業を命じることができるという裏規則まであった。

 そのような環境なので、当然いじめは存在する。特に直接雇用パートの主婦5人が、なれない派遣パートの主婦を外からしか開かない個室に6時間も監禁し、失踪者扱いにして辞めさせようとした事件があった時は、背筋が寒くなった。

 言葉のいじめは多々あった。私にも「こんなに不器用だから、いい年して派遣しかできないんだね。人生頑張ってね」とか、「あなたはこんなふうにしか育たなくて、両親を裏切ったとは思わないの」と言われたりした。

 こんな労働環境で1日5千円。しかし続けなければ困窮してしまう。先なんて見えない。精神的にも落ち込み、この生活を抜けだそうとは思えなかった。

 

●派遣を辞められたのは「どうにでもなれ!を止めたから」

 しかし、派遣を辞めなくてはならないと自分に思わせてくれる出来事があった。東日本大震災だ。あの津波と原発の映像を視ながら「この状況で自分はなぜ生きているのだろう」と考えた。そして、自分の人生をもっと社会に役立たせたいという思いがわいてきた。もう半分人生を諦めたと思うことによって、逆に「地元でやりたいことをやろう」と考えられたのだ。

 あとは行動に移すのみ。借金をしてアパート代を清算し、実家の茨城で介護施設の職員になった。いつか社会全体の歪みを埋める仕事をしたいとチャンスをうかがっていたところ、ネットでVネットのボランティアを見つけた。その後運よくVネットの職員にもなった。

 自分は派遣生活をこうして抜け出した。だが、多くの若者は本当に派遣を抜け出したいと思っているのだろうか? おそらく「抜けだしたくない」が多数だろう。正職に就いたとして、安定した未来が待っているとは限らない。苦しい生活なのだが、それを何とかすることを「諦め」ていると思う。

 実際に私の周りの若者で派遣から抜け出した幸運な人間は、家の稼業を継いだり、介護や清掃業など。つまり地縁・血縁があったり、職縁など比較的就職先のある仕事を選んでいる。

 若者が「こう生きるんだ」と、人生の指針を自分で見つけていかない限り、今の世の中では派遣を抜け出すことは難しいだろう。(坂本)

Facebook
とちぎボランティアネットワーク
フードバンクの周辺