2018試し歩き(後編)

行き着いた先に名店あり

一行は下野大沢駅を経て、そば屋探しの旅へ。当初の目的は何処へ?

「今回は距離試しなんだから、何処を歩こうが距離は稼いでいるはず!」「SNS映えする写真でも撮りたいね」まだまだ余裕な歩き手たち。

 

行き着いた先は、水無湧水庵。地元の人がそば生産組合を作り、育てたそば粉全量をこのお店で出しています。安価に美味しいそばが食べられるとあって、隠れ里にもかかわらず、駐車場は常に満杯の名店です。

 

ここで一行は4人で1升そばと人数分のかき揚げを注文。程なく卓上に5合盛りのざる2枚とかき揚げ4つが並ぶとインパクト大。これを待っていた!各自途端に黙り込み、目前のそばをどれだけ食べていいか探りを入れながら、旺盛な食欲を発揮するのでした。

鉄道院技手、明石虎雄の傑作

水無から日光街道に出ると、また杉並木が始まります。よく見ると1本1本にオーナーの企業や市町、個人名の標示が。皆で「あの会社だ!」と確認するように歩くと、ペースは急落。

 

今市市街地で「日光の社寺7km」の標識を発見。

18時までに神橋に行きたい!ペースを上げる県西・前田&県南助っ人・立野。本番はこの2人が先頭集団の軸になる予感。

まさかの長靴参戦だった宇都宮B・さとうあやかは時折小走りを入れながら追いかけるものの、着いていけず。(本番では通算100m以上走行した場合は反則減点となります!)

 

前田、立野、大差を付けられたさとうは、ようやく日光駅へ。気品のある駅舎がお出迎え。

1912年(大正元年)に落成したこの駅舎は、19世紀前半から世界で流行したネオ・ルネサンス様式で、ハーフティンバー様式(半木骨造)の木造洋風建築2階建てという特徴的建物とのこと。長らく設計者は不明でしたが、2006年、地元郷土史家の福田和美氏により、当時の鉄道院技手だった明石虎雄(虎夫とも)が設計したものと判明しました。

明治初期から日本有数のリゾート地として人気を集める日光の玄関口に相応しい佇まいの駅舎は、567でなくても、一見の価値があります。

一行、神橋に至る

日光街道鉢石宿だった旧日光市街地を上った先にあるのが、日光の二社一寺(日光東照宮・日光二荒山神社・輪王寺)がある日光山内地区。

 

そしてかつての宿場町と山内の間を流れる大谷川(だいやがわ)に架かるのが神橋(しんきょう)です。栃木の盆踊りの定番曲、日光和楽音頭の「朱塗りの橋」こそ、まさにこの神橋です。

神橋で写真を撮りまくっていた外国人観光客に、「無事、神橋到達〜」の写真をお願いしました。車道にまで下がって行って、画角を大事にするのには驚きましたが。

 

やっぱり天気、悪かったな〜そして、学生はちゃんと歩けるのかと少々心配になる日でもありました。

本番は歩きやすい、履き慣れた靴でお越しください。

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